円秋他のAutomobileな山口旅行

先に断っておかねばならない

昨年の東北旅行記ははっきり言って好評だった

実のところ全コンテンツ中最も評判がよかったのだ

バイクのHPの作者としては複雑な心境だ

あの珍道中はもちろん意図したものではない

あれほどうまくいかなかった旅行も珍しいのだ

しかし

今回の旅行はうまくいった

まともな旅だった

その点は予め理解しておいていただきたい





一昨年は北海道だった



昨年は東北だった

行き先は順に南下しているのだ

それで今年は

四国を飛ばして中国地方にしようかと考えた

だがしかし

昨年は走ってばかりだったという反省もあり

検討の結果山口県と決まった

走り足りないという不満はあるが

観光には有利だしそれもまたよし

突っ込みが無用なのは言うまでもない


さて出発である

例によって深夜に自宅を出発したのだが

今回は台風が上陸していた

普通なら出発を躊躇しそうなところだが

車は却って少ないし全然OK!

台風上等

嵐の旅立ちとそのまま出発した



これは滋賀で撮ったのだが

言葉に偽り無し

既にその先を暗示している気もするが

いちいち気にしていては大物になれない



これは途中で立ち寄った深夜の某SA

大物志望でいっぱいだ

そして



徹夜で走って翌朝は台風一過



虹までかかった

虹が垂直だったら気分はウイニング・ザ・レインボーなのだが

元ネタがわかる人はいるのだろうか



まずは岩国の錦帯橋である

確かにこれはかなりのものだ



下から見てもかなりのものだ

さすが名所になるだけはある



でもってこれが料金所

ところでこの錦帯橋は半世紀前に一度台風で流されている

当時の市議会が復旧再建の決議を即日出したと聞いて

さすがは錦帯橋を愛する地元の市議会と感心したのだが



ちょっと待て

国に全額負担させる要望の決議か

こういう決議なら誰が市議でも即日出せるぞ

いや待て


やはり誰でも出せるようなものではないか

いろんな意味で

ともかく

さすがは岩国ということにしておこう

さて

岩国は巌流佐々木小次郎ゆかりの地だ



錦帯橋の下にはこんなのがあるし



すぐ近くにはこんな銅像もある



ちなみに後ろから見るとこうだ



もう一枚

変わった持ち方としか形容のしようがないが

達人の技は凡人の解し得るところでもあるまい

次いでロープウェイで横山に昇った



ここには岩国城という城がある

江戸幕府ができた後でわざわざ山城など造ったものだから

完成後たった七年で取り壊された悲運の城だ

ちなみに昭和に再建された時には

見栄えを重視して

天守閣の位置を多少町側にずらしている

ある意味現代の城かくあるべき

しかしこういう山城を見るたびにいつも思うのだが

下の平地から毎日こんな所まで出勤していた昔の侍には同情する

ここの標高は200メートルちょっとなのだが

ここより標高が100メートルほど高い地元の岐阜城に勤務していた侍には

その
五割増ほど同情してやりたいところだ

ブラボー地元!



それから岩国の歴史美術館

展示品はほとんど戦国時代の武具ばかりだが

それがツボにはまる人には必見だ



次いで白ヘビ観覧所を訪れた

世界でもここだけという青大将のアルビノ固定種だ

ここには数匹しかいないが

市内には非公開のものも含めて幾つかの飼育場が点在している

岩国は本気だ

しかし壁に掲げられていた

「○月△日
とてもかわいい白ヘビの赤ちゃんが誕生しました」

という表現の是非については


好みの分かれるところであろう




この日泊まった宿は錦帯橋のすぐ近くだった

実はこの左に見えていたのだ



食事は質・量ともにかなりいけた

もちろんこの後もっと出たのだ


さて二日目



山口県お約束の瑠璃光寺だ

大陸伝来の仏教建築は文化的に本来日本の詫寂とは無縁のもので

派手で鮮やかなのが

文化的にはオリジナルで正しいのだが

こういうのも悪くない

昭和になってから手前の池を作った人のセンスもいい



中にあった御神籤の自動販売機

ここでは
一回30円と格安だった

しかし

お寺に何故御神籤があるのかは不明だ

これも山口独自の文化というものか



ここは山口サビエル記念聖堂

齢十八にして法名を持った私にとっては

本来入ってはいけない異教徒の施設なのだが

いいんだよ細かいことは!!

余談だが県庁近くのイタメシ屋のランチバイキングは結構いけた



ここは常栄寺の雪舟庭園

山水画を思わせるなかなかの庭園だ

ちなみに後方から見ると



強烈な遠近法が駆使されているのがわかる

実のところ雪舟が作ったという確証はないのだが

そう信じて不思議はないだけのものがある



ちなみにここにも自販機があった

一回20円と更にお値打ち

恐らく利益は出てないんじゃなかろうか

しかし寺社との関連性は相変わらず謎のままだった

本気で解明しようとも思わないが



ここは湯田温泉の観光案内所の足湯

白狐が見つけたという温泉地で

どこに行っても
白狐を目にする

極めつけはこれだ



でかい!

実に身長8メートル

体重3トン


ここまででかいと
動物というより妖怪だと思うが

とにかく湯田温泉のシンボルである



宿は松田屋という温泉旅館だった

維新の志士も入浴したという維新の湯もなかなかいけた



食事もかなりの水準だった

サービスも良かった

この宿は今回イチオシだったな


そして三日目

秋吉台に向かっていた我々の眼前に

奈良の大仏の故郷という文字が現れた

ちょうど休憩のタイミングだったので道の駅に入ってみる

調べてみたところ

要するに
奈良の大仏に使った銅はここが産地らしい

個人的にはどうせ輝くなら自分の力で輝けと思うが

たまには某野球人のように

人生送りバントな町があってもいいのではないかと思う

それはともかく道の駅にあった大仏の石像は



奈良の土産物屋で見る同類より見た目が良い



後ろで組んだ手も突き出たお腹もラブリーだ

何故このデザインで携帯ストラップを作らないのか実に不思議だ

ていうか

作って奈良に売り込めよ!

さて



秋芳洞である

言わずと知れた東洋一の規模を誇る巨大鍾乳洞だ

入り口前の土産物屋が何故石関係の店ばかりだったのかは判らないが



それはともかく入り口である

足元では地下水が激しく流れている



ワケわからないだろうが洞窟の中だ

三脚が無かったので勘弁してくれ

中は洞窟とは思えないほど広い



かなり有名な百枚皿



わりと有名なくらげの滝のぼり



一番有名な黄金柱だ

その近くには一周すると寿命が1年延びるという柱があったので

慎ましい私は20周ほどしておいた

もはや不老長寿も遠くないだろう



中にはエレベーターまで備え付けられている



そのまま映画のロケに使えそうな光景である

しかし

よく考えてみればここは洞窟そのものが特別天然記念物のはずだが

その中を削ったりコンクリートを打ったりと

観光のために少々やりたい放題と思えなくもない

まあ観光化されたのが昭和初期だしいいのだろうが

とにかく大いに堪能できた



ちょうどその上に位置する秋吉のカルストロード

雨だったのでそのまま走り抜けてしまったが

晴れていれば草山がゆったりと起伏する見事な光景だ

そして萩へと向かう



ここは萩市の資料館

展示内容はまあ、まずまずだった

しかし気に入らなかったのは

その外にある
駐車場

車は資料館に隣接した
一回310円の市営駐車場に停めたのだが

その駐車場は隣の無料駐車場と繋がっている



手前が有料駐車場でその奥が無料駐車場だ

一体何を考えておるのか

頼むぞお役所!



それから萩城跡

雨が降りそうだったので中には入らず早々に宿へと撤退した

一応宿の名前は伏せる



茶柱が立てばいいというものではない

どうやら同行していた私の兄は

かつて高校の修学旅行でここに泊まったらしいのだが

そういう大事なことはさっさと気付いてもらいたい



名物の露天風呂まで走るモノレールは

荒天のため動かなかったので

モノレールに並行している私道をマイクロバスに乗っていった

しかしモノレールに意味がないとは言わない

これも資本主義社会の縮図だ



これがそこの料理

どう考えるとそうなるのか未だに理解に苦しんでいるが

河豚を二刀流の武蔵に見立て

オコゼ
を小次郎に見立てた創作料理だそうだ

それは小次郎に失礼ではないかとか

突っ込みポイントは山ほどあるが

結論だけ書く

今回は小次郎の圧勝だった!!


とうとう四日目

実は最終日である

最初に向かったのは



松陰神社だ

歴史の教科書では明治の元勲に押されてやや影が薄い吉田松陰だが

山口では「その元勲たちを教えた偉人」として篤く敬われている

幕府からみれば単なる危険思想の革命家だが

勝てば官軍とは言葉の通りだ



神社の中にある吉田松陰歴史館

要するに吉田松陰の生涯を蝋人形で紹介するというものだ

つまり一種の蝋人形館

展示品が蝋人形で中の壁はベニヤという辺りに
年代を感じてしまう

外には萩の新名所と書いてあったが

せめてもの情け

新名所になってどれだけ経つかは聞かずにおく

ちなみに中の人形はなかなかシュールだった



これが松下村塾

はっきり言ってただのボロ家だ

しかし教師と生徒が歴史上稀な傑物揃いだったから

この平屋はかつて歴史を変えるパワーを生み出し得た

心に留めておこうその過去を



ちなみに吉田松陰の墓所はこれだ



これは毛利家の菩提寺である東光寺

最大の特徴は墓所に並ぶ五百基もの石灯篭だ



確かにこれは壮観だ

しかしその入り口にはこんな注意書きがあった



そんなことあるのかと思ったが

後で境内の一角を見て納得



OK了解した

注意書きは正しかった



萩市内の銀行でこんなものを見つけた

何と比べて金利15倍かは定かでない

魅力的には違いないが

しかし冷静に考えよう

結果だけ考えたら巌流は
「負けた奴」

以前後醍醐天皇を祭る吉野神宮で御神籤を引いた時

「良いも悪いも神様まかせ」という一見有難そうな結果が出たが

これを
「良いも悪いも後醍醐天皇任せ」と読み換えた瞬間

途端に不安が湧き上がってきた覚えがある

それと同じような危うさを感じてしまったぞ

そして山口を離れ



一気に広島へ

山口旅行はこうして無難に終わったのだが

私の旅はまだ続く


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