ブランドの価値ということ

ダイハツにストーリアという車があります。かつてダイハツの大黒柱だったシャレードの後継車ですが、
発売後月に1000台ほどを堅調に売っていたのにトヨタが目を付けて
ダイハツからOEM供給を受けてデュエットという名前で売り出したところ、
いきなりトヨタだけで月に5000台ほどを売るようになりました。
心血を注いで開発した車がトヨタのバッジがついた途端に売れ行きが5倍になるというのも
ダイハツ関係者の心中いかばかりかと思いますが、売れ行きが落ちている現在でも
2003年6月の登録台数でストーリア146台に対してデュエット939台、
7月にはストーリア204台に対してデュエット1149台と、圧倒的な差は相変わらずです。
トヨタブランド恐るべしと当時の自動車業界に改めて知らしめた出来事でした。

世の中にはブランドと称するものが星の数ほど存在していますが、
例えばバッグや財布でとても有名な某社の日本法人はこの不況下で平均年収が下がり続ける中でも、
毎年の二桁成長を続けておられます。ブラボー。
"ブランド"とはもともと商標、銘柄のことですが、ブランド化とはつまり商標や銘柄を統一し
その中で品質やデザイン、イメージ等の独自性を強調し、他との差別化を図ることを意味します。
先のトヨタにしてもどこだかバレバレの某社にしてもそうですが、
ブランドとは一度高いイメージ(と知名度)を確立してそれを維持し続けることができれば
黙っていても客が買いに来てくれるし高い値付けで利幅を稼いでも大丈夫というゴキゲンでハッピーなものですから、
そのイメージを獲得、維持するためにあまたの企業はそれぞれ並々ならぬ努力を払い資金を投入しているわけです。

しかしここでブランドについてまともに話し始めると容量がいくらあっても足りないので話題をBMWに絞りますが、
BMWも世界的に認知された高級乗用車メーカーの雄です。日本では二輪部門に関する限り売り上げも知名度も
四輪と比べたら消費税くらいのものですが、それでも高級オートバイメーカーのブランドとして認知されているでしょうね。

ではそのBMWのバイクが何をもって高級とされているのか、具体的かつシビアに考えてみましょう。
造りについては、工作精度と品質管理に関する限り日本車が上でしょう。
素材は金属やウレタンはそうでもありませんが、ゴムとプラスチックの品質は日本車の方がいいですね。
エンジン性能はスペックだけで考えるなら日本車の圧勝ですし、
精密かつ高度なメカニズムという観点なら日本車は文句なく世界一です。
好みはありますが、外見コンシャスなことでも日本車には及ばないでしょう。
私が思うところでは、確実に上回るのが重要な機能部品は日本車より少しずつ余分にコストをかけていることと、
確信犯的に軽量化を優先せず、それより耐久性を重視していることです。
つまり、大事な部分を少しずつオーバークオリティにしておくことの積み重ねと、
(昔はほとんど全ての部分が過剰品質でしたが今はそこまでのコストはかかっていません)
上屋の重さや上手なパワートレーン設計なども生かして高級感のある乗り味と耐久性を実現。
あとは実際に役立つ先進技術の積極投入をして国産車と比べるとかなりライダー本位の立場に立った
設計思想でまとめあげている、ということになるのでしょう。
この設計思想は尊敬に値するものがあると思いますが、逆に言えば
日本車がBMWに勝てないと思うのは工業的な技術ではなくそのソフト的な部分くらい。
日本車に対する高級バイクとしての実際のアドバンテージは、そんな僅かな(決して無視できませんが)ものだと思います。
ですからBMWは決して日本車が逆立ちしても敵わないようなバイクではなく、もしホンダあたりが本当に逆立ちできるなら
(これが難しいのですが)充分勝てるバイクだと正直なところ思います。

またドイツ人のクラフトマンシップとよく言われますが、あれはそれぞれの国の車を日本で形容するときに
必ず使われる枕詞のようなもので、それがイギリス車だと版で押したように「イギリスの伝統」であり、
イタリアだと「ラテンの熱い血」。同じラテン民族でもフランス車だとこれが「パリのエスプリ」になっているのと同様に
ドイツ車だと「ドイツ人のクラフトマンシップ」と語られているものです。
イギリス車のデザイナーに「何故こんな木と革の古臭い内装が海外で好評なのか理解できない」と
公言する方がおられるように、その多くはイメージでしょう。
走りに関する評価は国情を反映して正しい場合が多いですけどね。
BMWのモノづくりの姿勢には評価すべき点も多々ありますが甘いと思える部分もやはりありますし、
我が国にも決してドイツに劣らない(個人的には勝っていると思う)優れたモノづくりの精神が存在することは
プロジェクトXが毎週のように証明してくれています。
事実BMWにしてもサスペンションやCPU、メーター、ブレーキ、タイヤといった
車体を構成するかなりのパーツを海外(特に日本)から調達していますしね。

ちなみにBMWの価格ですが、全体的にやや高価な部品を使っていますがその分各車種毎の部品の共通化を
相当な水準で押し進めていますから、量産効果は相応にあるでしょうし開発費も一台当たりで割れば安いはず。
もっとも費用がかかるエンジンの開発にしても、実質的にこの二十年間で完全新設計したのは
KとR259系エンジンの二種類だけであとはロータックス及びアプリリアからの購入。
その枠の中で改良に次ぐ改良を重ねて三十種類以上のモデルに搭載しているわけですから
開発費をモデル数で割ったら凄まじい効率の良さと言うべきですし、
製造コストから考えたら国産二輪車より余程効率のいい商売だなと思うわけです。
(注・システムを知ると判ることですが、ディーラー業はそんなに儲かりません)
もっとも、バイクの製造販売は純然たるビジネスですから幾らで売ろうがそれは自由ですし、
日本車も海外では同じような商売をしているわけですから文句を言ってはいけません。
「買わない」という最強の選択肢の行使権はいつでも消費者の手中にあるのですし、
ユーロ高のせいもあって新車の内外価格差はかなり縮まっていますしね。

さてブランドイメージが確立するのはいいことだと書きましたが、固まりすぎても問題が出てきます。
固まりすぎたブランドイメージの中でマーケティングリサーチに従ったモノづくりだけやっていては
全体としての進歩がなくなりますから、リサーチ結果を吟味しつつも完全迎合するのではなく、
ユーザーがついて来れる程度に新しさを常に提示してやるのがメーカーの力量の見せ所。
四輪のBMWを例に取れば、丸型のイメージを残したヘッドライトとキドニーグリルにサイドに一本走るキャラクターライン、
それに折れ曲がったリアサイドのウィンドウグラフィックを必ず残し、なおかつ誰が見ても(ベンツではなく)
BMWに見えなければならないという制約の中でデザイナーの方々は機能とデザインと生産性の要求をクリアして
なおかつ新しさも提示するべく必死で頑張っておられるわけです。

また、ユーザーの側にもイメージが固まり過ぎている場合がありますね。
BMWのバイクに関して言うなら紳士のバイクとか、改造してはいけないバイクとか、お金持ちの乗るバイクとか。
こちらは一度固まったイメージはそう簡単に変わらないことが多い分、いろいろと現実的に面倒です。
BMW乗りが(主に)国産車に乗るライダーから色眼鏡で見られることは未だにありますが、
実際にそう思われても仕方のないような言動を取られる方も残念ながらおられます。
私も以前「あの店も、国産車なんかと同じリフトに俺たちのBMWを上げて整備してちゃいかんよなあ」
とあるBMWライダーがしたり顔で話すのを聞いて愕然としたことがありますが、
BMWライダーの中に「BMWという高価な大型バイクに乗っているぞ」と偉ぶりたい方もおられるのは一面の真実です。
しかしこれは、一般的に考えて変だと思います。
誤解を恐れず書くと、BMWのバイクはたかが価格が100〜200万円程度の量産工業製品でしかありません。
トヨタの車を例に挙げれば下はヴィッツから上は新型プリウスの一番高いグレードくらいの価格に収まっているわけで、
クラウンを我慢して軽自動車にする踏ん切り(と、家族の反対を押し切る発言力)があれば差額で買えてしまうわけです。
今時マークUを買って自分が偉くなったと信じる人もいないだろうと思いますが、
それより安い買い物をしたくらいのことで選良を気取るというのは滑稽なことですし、
仮に本当に偉いとしてもシャネルのバッグを意気揚々と持ち歩いている女子高生を誰も偉いとは思わないように
それはバイクが偉いのであって所有している自分が偉いのではありますまい。

ちなみにBMW自身は80年代に
「自分たちがターゲットとしている客は、自分たちが大切にしているオリジナリティを価値あるものと考えてくれる客だ」
とコメントしていますが、この頃のBMWは実用的で耐久性に優れたハイスピードクルージングバイク。
確かに見た目やスペックに現れない部分に長所が集中しているBMWの価値を理解するには、
バイクに対してある程度の経験値を積んで「自分がバイクに求めるものはこうだ」という価値観が確立していないと
難しい面はあります。「1000ccのバイクに乗るライダーはビギナーではない」とも明言していましたし。
ただしそれは個人の能力に依存するものであり、年齢や年収、社会的地位といったものとは基本的に無関係です。
結果的に若者のモーターサイクルとはなっていなかったことは認めていますけどね。
また古くはR11の時代(と思う)からR45/65に現在のFシリーズに至るまでエントリーユーザーを意識した安価な
(他車と比較すれば相対的に高価ではありますが)バイクもBMWは昔から作っており、
ビッグバイクメーカーとはいえどもベテランばかりに目を向けているわけではないことも明らかです。
またドイツ本国では(主に日本車が高価であるため)BMWと日本車との価格差はほとんどなく、
BMWと言えども高価ではありますが決して特別なバイクではありません。
あちらではBMWがおらが国の国産車なわけですし。
つまり、紳士やお金持ちのバイクということはBMW自身語ってはおらず、後から作られたイメージと考えるべきでしょう。
(広告文句の中なら「特に、オーバー1000ccクラスのモーターサイクルを選ぼうとするライダーの多くは、
人生の成功者であり、物質的なアドバンテージに加えて、さらなる精神的充足感を追求してゆくのは当然のことなのです」
という文章が登場したことはありますが)

戦後の経済復興当時BMWのモーターサイクルは収入と比較した相対的金額では今より遥かに高額なもので
(今の感覚だとセンチュリー並み)、趣味のものということもあり確かに普通の人が手を出せるものではありませんでした。
しかしそれはBMWに限ったことではなく、1千万あれば世田谷に土地つきの家が買えた時代に
メルセデスの300SLガルウイングが3500万円もしたとか、ポルシェ911は1965年の発売当時大卒初任給平均が
2万5千円の時代に450万円したとか(911Rだと実に1100万円)、国産車でもエントリースポーツとして
1963年発売当時予想を下回る低価格と言われたホンダS500の価格が49万8千円だったといったことでも分かるように
自動車やバイクは今より遥かに高価な高嶺の花だった頃の話で、BMWだけが異常に高価で特別だったわけではないのです。
それから年月を重ねる間にメーカーの企業努力や様々な要素の積み重ねで現在のようになったわけで
BMWバイクが当時より格段に身近な存在になったのは事実ですが、だからといって(相当にコストダウンが進んだとはいえ)
決して安物に成り下がったわけではないのも確か。
個人的には、そういったイメージというのは本当の高額商品でお金持ちしか買えなかった時代のイメージが
ブランドの看板に助けられて未だに生き残っているのではないかと思います。

そして大事なことですが、BMW自身が物作りの方向性を90年代に入って明確に軌道変更しました。
K1200RSが発売されて「パーフェクションからエモーションへ」と言い出した辺りからですが、
これまでの「自分たちの商品の価値を理解できる人がターゲット」から、より幅広い潜在的顧客にアピールするべく
「昔からの顧客だけではなく、若い層も含めて全ての顧客をカバーするバイクを作る」に方針が変わっています。
要するに幅広い顧客にアピールするためのエモーション。マーケティング優先の度合いが上がったわけですね。
相変わらず貧乏人を相手にした商売はしていませんが、前述したようなBMWのイメージは
BMW自身の手によって自ら否定されたわけです。

さてここからが締めの部分ですが、私はブランド物の価値は否定しません。
何がしかのブランドが広くファンを持つ有名なものであれば、それには必ずそうなるだけの理由があるもの。
ブランド物がすべていいものばかりとは思いませんが、良品が多いことは世間一般的に事実です。
ですから、何か良いバイクが欲しい→だったらBMWにしよう、ブランドだし。
という考え方を私は自分ではしませんが、そういうのもありだとは思います。

ただし、バイクは自分がまたがって走った状態を外部から認識されるもの。
バイクに乗るということは、対外的には乗り手の主義主張を外部に発信する行為でもあるわけです。
そこで「自分の主張はBMWの考え方と寸分たがわない!」或いは「多少は違うけれど許容範囲だ」
という実は過半数を占める方々にとってはなんてことのない問題ですが、
「BMWの考え方は俺の主張とは総論で同じだけど各論では反対だ!」とか、
「BMWのデザインセンスがここだけはどうしても許せない!俺のセンスはこうだ!」という尖った方々が
自分のセンスに合わせた改造をするのを「BMWはこういう風に乗るべきバイクだから」と
自分がBMWに抱いているイメージを根拠に一概に否定的に捉える方もおられますが、
私はそれはBMWブランドのバイクに乗っているというより、
BMWというブランドに乗られているのではないかと思うわけです。

私個人の感覚でいえば、衣服でも何でもブランドに着られることは嫌いです。
自分がお金を払って購入した以上それは自分のものですから、自分の所有する物に関する限り
たとえどんな高級ブランドであろうとも(尊重はしますが)徹底的に自分が主であり、所有物は従です。
使用する上でもブランド物だからという遠慮は(高価なものだから大事に扱おうという以外には)しませんし、
まして使いにくい部分を「私ごときが手を入れてはおこがましいからやめよう」とは考えません。
私にとっては、自分が使いにくくては意味がありませんから。
高価なブランド品で固めて着飾ることは財力さえあれば誰にでもできますが、
取捨選択することなく定番ブランドを身につけるという行為はひとつ間違うと自分のポリシーの無さの証明になりますから
「このブランドのこういう特徴が自分に合っているから自分にはこれが必要なんだ」と
敢えてそのブランドを選択する積極的な理由付けをしておくことがクールを装うには必要ではないかと。
「あんた金あるから買ってんだろ」と周囲から思われるようなBMWの乗り方やアイテムの組み合わせでは、ちょっとね。
残念ながら私の力量では未だその域には遠いのですが。

BMWライダーとなったばかりのスタートラインの時点なら購入動機など千差万別でいいでしょうが、
もしも最初から最後まで単なるブランド崇拝主義で終わるのならやはりそれは考え物。
BMWのバイクが主張するところを理解して、それが自分にとって魅力的だったりポリシーに合うと感じられるからこそ
BMWブランドに対して変に気取ったり身構えたりすることなくバイクと自然体で付き合い、使いこなす。
私はそうありたいと思っています。

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